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みちちがえたり、みちがえたり。

ラ・ラ・ランド

ラ・ラ・ランド』を観た!
原題:『LA LA LAND

女優になりたいという想いで、
“ハリウッドの地”に足を踏み入れたミア。

ホンモノのジャズを伝えるべく、
“ハリウッドの地”に根づくセブ。

2人は出会うべくして出会い、
道を切り開いていく。


運命のような強烈な引き寄せは、
お互いの未来になくてはならない存在。


夢の地で、痛感した現実。そして、

何にも代えがたい、巡り合わせ。

人には夢がある。
その夢が、現実的か、非現実的かなんて、誰にもわからない。
成功するか、失敗するか、誰にも知れない。
ただひとつ、想い続けていれば、道が開けるということ。

挑戦したこと、努力したこと、夢中になったことは、
未来の選択肢を広げる。
叶えたいという気持ちが、頭を働かせ、足を動かすから。


私事だが、いよいよ30代がさしせまった私。
当然、周りの友達も、30歳になるわけだ。

いろいろな人生があって、面白い。
小学校からずっと友達をやっているからに、
同じレールを通った部分もあるのに、全く別の結果をなしている。
それぞれが積み重ねた、軌跡。
そしてその価値は、本人のみぞ知る。


「いよいよ30歳だけど、どうする?」みたいな話しをしながらも、
ふと最近感じることは、
みんなほどよく丸まってきたなあ、ということ。

ここ1年で6キロくらい体重が増加し、
今まで履けていたスカートがキツくて具合が悪くなるほど、
体型が丸くなってきた・・・という話ではない。

“選択”が丸くなってきたんだ。

同時に、中学生の頃に読んだ、漫画家・武井宏之
代表作『シャーマンキング』の1シーンを思い出す。

「大人になるとある日ふと誰もが気づくんだ。
頭上にせまっている自分の限界とも言うべき天井の存在にね。」


少年漫画に、こうした大人ならではのアイロニーみたいなのを盛り込んでくる
武井宏之のセリフのチョイスがとっても好きだな。
もちろん、読んだ当時、どれほどそれを解読できていたかはわからないけれど。


大人なら誰もが痛感するような、セリフ。
といって、紹介しておきなら、
実は今の心境は、それとは違うんだ。

それぞれの夢を見ながら歩いてきた友達も、
同じような心境になっているらしい。
この間、格好つけてウイスキーバーで語らった時、わかった。←大人ぶりすぎ(笑)

「なるようになるよね」という、前向きな気持ち。
それは諦めとも、タテマエとも違う。
自然とわきでた、まあるい想い

あそこまで登り詰めなきゃ!
歩みを止めちゃだめ!
結構ハングリーな精神で、ガウガウしていた時期もあったと思う。
負けず嫌いでありながら、他人と闘うことは苦手。
一方で、怖がりだから、他人に噛みつくことだってあった。

「ダメかもしれない」という弱音を押し殺して、
やりきってやるよおりゃー!みたいな気持ちで、ガウガウガウガウ

そして、誰かに、何かに阻まれたり、
自信をなくしたりすればするほど、
自分がとんがっていくのもわかった。
おそらく、25歳あたりから、人生最大級の反抗期が訪れた(遅)。

何よりも、道を見失う要素。
年齢を重ねるにつれて、ひとつのところにとどまることが恐くて仕方なかったし、
負けを認めることも、失敗を味方にすることもできなくなっていた。
周りのことが全て回りくどくて、人生を急いでいた。
広がるはずの未来が、どんどん狭まっていく恐怖。

でも今は、未知に思えた大人の社会も、
お金の世界も、未体験だった感情も、いろいろ経験して、
「まあこんなものなのね~」と、どこかで納得したのかもしれない。

それこそ、天井に気づいたのではなく、
もともと見えていた天井のその先を、見よう見ようとしてきたけれど、
天井裏を見たのか、天井にそれほど魅力を感じなくなったのか、
いまある自分のフィールドに価値を見出すようになってきた。

狭いと思っていた部屋も、実はそんなに悪くないんじゃないかなって。
住めば都というように、自分の部屋は存外、快適な空間だった。
たんと遊んだし、たんとぶつかった。
足るか足らぬかは、私だけにしか計れないけれど。


フィールドというと、ちょっと大それたものに聞こえるかもしれない。
せいぜい、手に入れた手札と言うべきかな。


もともと、努力や鍛錬が、そうそう得意でなかった私は、
ちょっとやそっとのことで自信をなくしやすい。
もちろん想いが強い時期には、
「努力や鍛錬」なんて知らずに、夢中にやっていたこともあったけれど。

でも一度道が見えなくなると、
極度な負けず嫌いが理由なのか、
興味をもつ対象が広いのか、
気が散りやすいのか、
次々と求める路線が変わってきた。

ある意味では、「夢、敗れたり」。
ある意味では、「新しい道、見つけたり」。


行動すれば、叶うという経験もたくさんしたけれど、
けしてほしいものが全て手に入ったとも言いがたい。
(30歳目前で言うのも、ちょっとおこがましいけれど。)

でも、それはひとつも回り道や無駄足であったわけではなく、
全てが必要な通過点だった。
人生で使命感を見出してしまう人もいるけれど、
そうまで言わなくても、カチカチカチッと組み合わさっていく。
「なるべくして、なったのだな~」という充足感。
「あの時ああしてれば・・・」と、
起こらなかった未来を思うかもしれないけれど、それはそれ。


『ラ・ラ・ランド』の話に戻ると、そういうこと。
無我夢中で駆け抜けること、
失敗を繰り返すこと、
唯一だと思って選ぶこと、
一方で手放すこと、
全部があってこその、人生。

全てを手に入れることはできないかもしれないし、
できたとしても、その過程で捨ててきたものもあるかもしれない。

でもある時点に立った時、
「ああ、私の人生は、こういうことだったね」と充足感に満ち足りたら、
全ての出来事と出会いに、ありがとうと言えそうだ。

もちろん、定めた目標に向かって、
突き進み続けた人こそが、勇者なのだけど。



新鋭監督、デイミアン・チャゼルの登場だ。
本作で、アカデミー賞監督賞を受賞。
映画界に歴史を残す監督か否かは、今後の作品によると思うけれど、
何か一縷の光みたいなのが、見えたように感じる。この先にワクワクする。

アカデミー賞のまさかのトラブルで、
結果的に作品賞を逃してしまったけれど、まあそれはそうよね、という感じ。
(授賞式で、しかも作品賞で、
受賞作品発表間違いがあったという歴史的トラブル。
その授賞式を、久々に生放送で見れたのは、ある意味ラッキーかも。)

ただ、『ムーンライト』よりは、映画的に優れていたとは思う。
もちろん扱ったテーマが、『ムーンライト』の方が時代に沿っていたといえばそうなんだけど、
だからこそ『ムーンライト』は、ちょっとした一押で選ばれやすかった作品。

『ラ・ラ・ランド』は、それこそ作品賞を受賞した『アーティスト』のように、
どうして今この時代に!?
でも今の時代にありがとう!!

と思えるようなタイミングだった。
『アーティスト』ほど、歴史的な作品とは言えないけれど、
“今の時代とずれている”からこその、今の時代の映画と言うか。


個人的には、同監督デイミアン・チャゼルの『セッション』の方が、
映画史の一角において、
センセーショナルな作品だったと思うけれどね。
『セッション』で、作品賞をもらっていたら、最大級に納得だった。
『ラ・ラ・ランド』でもらったら、“早すぎる”かもしれない。


早すぎると言えば、本作で好演したエマ・ストーンもそう。
すごく魅力的だったし、歌もダンスもうまかったけれど、
もし彼女が今後映画界を牽引するというなら、
まだまだ主演女優賞は早かったし、逆に“天井が見えた”ようにも思った。
これは、ジェニファー・ローレンスにも言えることだけれど。

それでも夜は明ける』のルピタ・ニョンゴのように、若くして受賞とは、違う。
女優人生において、“彼女の代表作と言える作品かどうか”が重要で、
エマ・ストーンもジェニファー・ローレンスも、もうひと踏ん張りの末に受賞すべきだったかな。


ライアン・ゴズリングは、久々に好感度の高い役だった。
(どうも苦手な顔で、その割にナルシストであんまり好きになれない・・・。)

夢を追うか、愛を掴むか。
男女問わず、悩ましい選択。
その末、愛をつかもうと、堅実な道を選ぼうとした。
ろくでもない男性を良しとする作品が多い中で、
(なぜなら圧倒的に男性監督が多いから・・・なんてフェミニスト発言)
彼の選択は、女性目線では評価が高いだろう。

堅実な道を選ぶことと、
夢を追い続けることを、
同時並行で歩めないのは、
実によくできた世界だわ。

あいにく、ミアのためを思った選択は、
彼女の不安と失望を助長させてしまうんだけどね。


こうした絶妙な葛藤は、長年このストーリーを温め続けていた
デイミアン・チャゼルの経験の反映ではないかな。

もちろん、プライドも感じられるけどね。
一時の出会いと別れが、お前の人生だって変えただろう?って。

なんて、まるで傲慢な男を思い描いてしまうけれど、
実際はその通りで、
最悪な出会いも、最高の出会いも、
経験や知識になるものなんだなって。

出会った瞬間に、
運命の人だと思ったとしても、
それが一生続く関係であるかは、定かではない。

でも強烈な出会いが、その先の人生に何かしら影響を与えることはあるはず。
そういった意味では、
誰もが強烈な出会いを求めて、
外の世界に繰り出すべきなのかもしれない。

時には誰かに支えられ、裏切られ、互いに連れ添う。
ついて離れて、結んで切れて・・・。
人の人生が、人だけで成り立っているわけではないけれど、
人との出会いが人生を形成すると言っても過言ではないと思う。


やけに話が壮大に、熱くなってきた。
でもそれは、映画冒頭を飾った
ノーカットのミュージカルシーンの音楽
Another Day of Sun』を聴いていることが理由。
ひたすら言葉や想いがあふれてくるな。
素晴らしいオリジナル曲!!

映画はやっぱり、開始10分が制するね。
(と、語ったギャザリーの執筆記事が、
まとめサイト糾弾のあおりで、消されている・・・。
審査の末、二度と復活しないのだろうか・・・。
新規投稿もいつの間にやらできなくなっているな~。)


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真実を語る資質。

スノーデン

スノーデン』を観た。
原題:SNOWDEN

ロシアに亡命中の、エドワード・スノーデン。
元CIAにして、母国アメリカ当局から指名手配されている。

彼の生い立ちは、実状と相反するものだ。

国を守るために、米国軍の入隊を強く志願したスノーデンは、
意志半ばでケガによる除隊をするも、
学生時代に学んだコンピューターに関する知識が評価され、
国家安全保障局よりスカウトされる。
そしてのちに、CIAにて勤務をするようになる。
全ては、愛するアメリカのためだった。

しかし、全ては裏切られた。
国家のセキュリティは、人道を逸脱することで保たれていたのだ。

権力は横暴に。

権利は侵害に。

(予告編は、実話といえどもネタバレが凄いので本編をまず観ることをオススメします。)

今やインターネットを介せば、無数の情報に繋がる時代。
SNSはもちろん、個人のスマートフォンや
世界中の「カメラ」にアクセスすれば、個人は丸裸だ。

スノーデンの頭に疑問が浮かぶ。
個人の権利や情報を守れなくて、
一体、国民の何を守るというのか。

スノーデンの胸は怒りで燃える。
どんな権力をもってしても、
政府には超えてはいけないパーソナルスペースがある。
個人のすべての情報にアクセスできることを、
なぜ国民に開示していないのか。



スノーデンの怒りは、単純である。
けして悪い意味ではなく、誰もが理解できる「怒り」であるということ。

人が怒りを覚えることは、
「知らないうちに裏切られていたこと」を知ること
知って許可すれば納得できることでも、
知らずに遂行されれば理解できないものだ。


日本は今、「テロ等準備罪」という看板を掲げた
『共謀罪』(組織的な犯罪の共謀の罪)の新設是非に揺れている。

“日本は”と言いつつも、
たいして事の重大さを意識していない国民がほとんどであると思う。
私もそうだ。

よく耳にするのは、
「あなたの使っているスマートフォンの情報を
国が閲覧できるようになる」という、人権侵害を訴えるもの。
スノーデンが怒り狂ったポイントだ。

でも一方で、
インターネットなどの技術の普及・進化により、
テロ犯罪の実行が容易になった背景もあるのではないかと思う。
つまり、「テロ等準備罪」の新設を認めなければ、
国の安全を・・・2020年にオリンピック&パラリンピックを控える日本を、
テロから守れないのではないかと、疑わずにはいられない。

世界から注目される2020年に、
日本は格好の標的になる、と言えなくない。

だから、「国が個人の情報を盗み見ますよ」とちゃんと公言してくれれば、
いたしかたないのかな、と思えてくるわけだ。
使い道のルールをちゃんと守ってくれればね、と。

でも先日、民進党の山尾しおり国民運動局長や、
枝野幸男「共謀罪」対策本部長の街頭演説を聞いて、
「テロ等準備罪」というキャッチコピーがついた
共謀罪を補える法律はもう既に存在していること、
あとはテロへの捜査力を高めて、予算を上げることが大切だということ、
過去に3度も棄却された法案なのに、
「成立しないとオリンピック&パラリンピックができない」と首相が言い張っていることを知って、
頭がこんがらがってきた。

これは、安全・安心のための最善策なのか?
国の裏切りなのか?


個人のきのこ狩りは犯罪で、アワビ捕りは合法である「共謀罪」と聞いて、
もはや一体何のための法律なのかも、
何にもめているのかもわからなくなった。
なんとか廃案に持ち込もうとしている、
力を示そうとしている、政治家の印象操作かもしれないとか・・・。
疑いだしたらきりがない。

そして、どんなに某国がミサイルをこさえようとも、
アメリカと韓国が軍事訓練を行ってジリジリしようとも、
危険なところに住んでいる日本人である自分は、
いつもどおり働いて、食べて、寝ているだけ。

つまり、「もうどうしようもない感」ばかり。
政治に無関心なのではなく、
政治家が結局全部決めてしまうんでしょう?というような、
諦めとも、人任せとも言えない思いで、気持ち悪くなる。


一方で、スノーデンはある意味では当事者だった。
すべての情報を閲覧できる、資格があった。

しかしそれでも、雇われの身。
「NO」と言って、それに順ずる組織はいない。
そして、スノーデンは、今に至る。


しかし、これほど大きな事態が、
思ったよりも小さく収束しているように思える。
相変わらず、みんな自由気ままににSNSを使っているし、
誰もPCやスマートフォンを手放そうとしない。

一体、この事件はなんだったのだろう。
トランプ大統領の就任で、
よりオバマ元大統領の株が上がっているが、
そのオバマさんすら、「諜報機関を持つ国ならどの国でもやっていること」と言う。

つまり、知らないなら知らないで、ある意味、人は幸せだし、
知らないけれど「そうなんじゃないか」とぼんやり考えるし、
知りたくなかった現実を知らされて勘弁ならんという場合もある。


この映画を観て、スノーデンは、
ただ、自分の力を過信し、
必要とされること、認められることに注力する人物なのでは
、と
思えなくもなかった。
もちろん、事実こうしたことがあると、
世界中に問題提起してくれたことには感謝するが。

これも先日、NHKの『ガッテン!』で特集されていたことだけど、
目は、多すぎる情報を精査しようと、極端に視界を狭めるらしい。
そうして、判断力が鈍ったり、見える範囲のものが見えなくなったりする。

バランスのとれた政治も、平和も、考えも、
保つことがそもそも本能的に難しくて、
人類全員で妥協することが大切なのかなって思う。
そしてそんなことは、無理に等しいのかなと、
あと一ヶ月で30歳になる私は、妥協するのである。



さて、映画自体についてちゃんとレポートすると、
普通な作品だった。
演出や見せ方が殊にうまいわけではない。

残念なまでに一過性とはいえ、
センセーショナルな事件ではあったから、
俳優たちの興味・関心も高く、キャスティングはそこそこ豪華。
とはいえ、ややそれゆえに、安っぽさも出てしまったかもしれない。
スティーヴン・ソダーバーグ監督が、
マット・デイモンを出演させてしまったチェ 39歳 別れの手紙』の
モヤッと感にも似ている。


そして映画の最後に、スノーデンを演じたジョセフ・ゴードン=レヴィットに代わって、
エドワード・スノーデン本人が登場するんだけど、
「ほらね。目立ちたがり。」と思わずにはいられない。
亡命後、twitterを再開した理由も知りたいよ。

物事のバランスをとるためにも、
スノーデンという人間性に掘り下げた作品もあっていいと思う。
今回の映画のように、事件を描くだけに限らずね。

真実を語る資質など、誰も持ち合わせていない。
真実を知ろうとする側は、
少しずつ、「真実」を集めて、多方面から見るしかない。

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